見て歩く日本の城と史跡ー三重県津市(2−2)

 乙部藤政が織田信長の侵攻に備えて築いた渋見砦跡(渋見町字城)

津駅の北西の閑静な住宅街に、子供達が楽しめる遊具のある公園があります。
ほぼ四角のその公園が、かつて織田信長の侵攻を抑えるために築かれた砦の
跡地だったとは、とても思えません。
しかし、一段高い場所にある立派な砦跡の石碑と説明の石碑を見て、
改めて、この地を長野氏が領していた時代があったのだと確認できました。

織田信長が伊勢に侵攻したとき、織田(北畠)信雄の後見人であった滝川一益が
安濃津城、木造城とともに、渋見砦も支配していたそうです。
                               (19/06/03 訪問)

渋見砦跡
 ここはかつて渋見砦がありましたが、この度の住宅団地造成に伴い、平成2年〜3年に発掘調査を
行い記録保存をすることになりました。そこで遺跡の存在を後世に伝えるために、ここに碑を建てるこ
とにしました。その砦の概要は次のとおりです。
 この砦は、永禄年間(1558〜70)乙部・中川原の城主乙部兵庫頭藤政が、織田信長の伊勢路侵
攻に備え築城したものです。
 永禄13年(1570)信長の弟信包に攻められ、城は落城、藤政は家所美里村にの賀れて自殺した
とも一身田専修寺に入り剃髪したとも言われますが、詳細は不明です。
 城はおよそ5.5ヘクタールあり主郭を中心にいくつかの郭からなっています。さらにこれらの郭を二
重の空掘で取り囲むように計画されており、未完成ではありますが、近世の『回』字型の縄張りに近い
形式をとっています。                                
(現地案内石碑より)



乙部城(中河原城)があったと思われる地蔵院(中河原481)

津市乙部・中河原は、長野氏に仕える乙部氏の領地でした。
渋見砦の案内文と潮音寺の案内文にある乙部氏は『兵庫頭藤政』ですが、
ここ地蔵院にある案内文の乙部氏は『伊豆守』です。
『伊豆守』と『兵庫頭藤政』との関係分かりませんが、いずれにしても
『伊豆守』の時代に乙部・中河原に乙部氏の城があったのは確かでしょう。
地蔵院の辺りを、かつて城があった場所として、しばし眺めました。
                          (19/06/03 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)




乙部藤政の守護仏を伝える潮音寺(中河原554)

津市乙部・中河原は、長野氏に仕える乙部氏の領地でした。
中河原の潮音寺に乙部藤政の守護仏『阿弥陀如来立像』が伝来しています。
もちろん実物は見ることはできませんでしたが、写真は見ることができました。

                      (19/06/03 訪問)

(現地案内板より 以下も同じです。)





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