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名詞関連(9)
中学生A
日 本
90
いつも不思議に思うことがあります。
お茶は緑色なのに、英語のbrownを茶色と訳します。
茶色のイメージは、お茶の色とは全然違っています。どうしてなんでしょうか?
brownを茶色って、おかしくないですか?
お茶は元々日本にあったものではなくて、奈良時代に中国から入ってきたと聞いたことがあります。
お茶は、蒸して固めて乾燥した状態で、日本に輸入されました。
その乾燥した状態のものを削って、お湯で煎じて飲んだんだそうです。
もちろん、庶民がお茶を飲めるわけではなく、
一部特権階級の人だけがお茶を不老長寿の薬として飲んでいたんだそうです。
当時のお茶は、いわゆる brown だったので、brown が『茶色』と呼ばれるようになりました。
緑色のお茶ができたのは、もっと後のことです。

みいしゃ
日 本
89
数年前から、日本で日本語教師のボランティアや仕事をしておりましたが、
現在は、イギリスで生活しており、
プライベートレッスンで、中国人に教えています。
日本語のレッスンは、教科書『JFBP』に順じて、『みんなの日本語』で、
対応する項目なども参考にしながら、授業を計画し進めています。

早速ですが、『JFBP L18』で「まっすぐ」ということばが出てきました。
そこで、学習者に、「まっすぐ」の品詞を聞かれ、
一瞬、副詞と思ったのですが、答えを保留にしました。
『旺文社国語辞典』には、副詞、形容動詞、名詞と明記されています。
『みんなの日本語 14課』「まっすぐですか。まっすぐ行ってください」
『JFBP L18』「まっすぐ 行きます」
という形で、案外さらりと扱われています。
「まっすぐ」副詞と考えたのですが、、、

「まっすぐに歩きます」「この道は まっすぐです」
「まっすぐな道」「まっすぐで細い線」となると、ナ形容詞です。
「まっすぐの道」と言う場合は、名詞です。
しかし、名詞とするには少し無理があるのではないかと思います。
例えば、「まっすぐの曲線」と言えなくはないけど、
少々居心地が悪いような気がします。
考えていくと、私は、「まっすぐです」ナ形容詞と考えます。

しかし、『JFBP』『みんなの日本語』ともに、
ナ形容詞の「まっすぐに」の「に」が落ちた形で扱っているとしたら、
それは初級学習者には性急すぎるのではないかと思ったりもします。

そして、副詞っぽい感じというか、あいまいではありますが、
その気持ちも捨てきれません。
自分の中で整理がつかなくなりました。
ご意見をお聞かせいただけると幸いです。
実を申しますと、ご質問の意図をうまく理解したかどうか自信がありません。

言葉の品詞ですが、結構諸説あるものです。
『まっすぐ』の品詞は、『副詞、名詞、ナ形容詞』だとする説と
『名詞、ナ形容詞』だとする説があるように思います。

では、『まっすぐ歩く』の『まっすぐ』はどうなるかと言いますと、
『名詞、ナ形容詞』説では、名詞に分類しているのではないかと思います。

日本語を教えるとき、
説明しやすい考え方、学習者さんが理解しやすい理屈で
指導なされば良いのではないかと思います。
受験のときに必要だった、「これが正しい!」を求める必要はないというのが
私の考えで、それが国語と日本語の違いだと思っています。

学習が進んだ学習者さんには、文法には諸説あることなども
理解してもらうように日々話すことも大切ですし、
話す場合、混乱を招かないタイミングも必要です。
 
私の場合は、文法には諸説あるけれど、私はこう思う
という風に話を進めています。
因みに、私は『まっすぐ』に関しては、『副詞、名詞、ナ形容詞』説が
説明しやすいかな?と思っています。
Q&Aの分類では、とりあえず『名詞』の中に入れました。

増 田
日 本
88
『対策』という言葉について、
私が勤めている会社の社内での用法に疑問を感じたため、
質問させていただきます。

防災対策
防犯対策
というような使い方は間違いではないのでしょうか?

私の意見としては
災害対策
犯罪対策
が正しい用法に思えます。

『防』という言葉と『対』という言葉が文中に両方含まれると、
マイナスとマイナスを掛け合わせるのと同じで、
意味が違ってしまうと思うからです。
同僚に説明してみたのですが、今ひとつ納得してくれませんでした。
ご説明をお聞きしたいです。よろしくお願いします。
ご質問への回答は、私見ということでご了解ください。
今回初めて考えたことですので・・・・・・・。
 
確かに、災害対策、犯罪対策 の方が違和感がありません。
では、防災対策、 防犯対策が間違いかというと、
あながちそうでもないようにも思えます。
 
『災害を防ぐための対策』『犯罪を防ぐための対策』
と考えれば、問題ないようにも思えます。
 
なによりも、たとえ誤用であっても、広く使われるようになれば、
それほど神経質にならなくてもよいのではないかと思うのです。
誤用によって、言語は変化していくものです。
 
あくまで私見ですが、
公文書などの場合は、災害対策、犯罪対策を使った方が無難ですが、
防災対策、 防犯対策もそれほど問題ないように思います。

問題点が違いますが、『旅行に行く』など、外国人のための日本語教科書にも出てきます。

山 岡
日 本
87
裏と表、後ろと前の違いはなんですか?
とアメリカ人の友だちから聞かれました。
分っているようでも、説明しろと言われると、困ってしまいます。
よろしくお願いします。
何か余り厚みのないものの一方の面を『表』とすると、反対の面が『裏』となります。
この場合は、後ろと前という言い方はできません。

ある物体の正面と背面の空間を指す場合は、『表と裏』、『前と後ろ』両方とも使えます。
そのある物体が人間などの生き物の場合、比較的嵩高くないものの場合は『前と後ろ』を使い、
建物のように比較的嵩高いものの場合は、『表と裏』、『前と後ろ』両方とも使います。

『表』は主だったもの、『裏』は主だっていないものという区別もあります。

玉 木
日 本
86
勇気と度胸は、どう違いますか。
辞書で調べても、違いがみえません。
そうですね。
どちらも辞書で調べると、『恐れないで向かっていく精神力』のようなことが書いてありますね。
私見ですが、恐れないで行動した結果に、正義や名誉がついてくるのが『勇気』。
『度胸』は『勇気』より、個人的なもののように思います。
それと、元々人間が性格のような感じで持っているのが『度胸』で、
振り絞って、精神力で作り出すのが『勇気』だという違いもあるように思います。

相場師が恐れず相場を張るのは、度胸。
混雑した道路で車を運転するのは、度胸。
虎穴に入りて虎子を得るのは、度胸。
オリンピックでプレッシャーを押しのける気持ちは、勇気。
電車の中で、因縁をつけられて困っている人を助けるのは、勇気。
自分の国が他国から侵略されるのをふせぐために戦うのは、勇気。

どうかなぁ?

愚 息
日 本
85
最近、知人の中国人から、「息子」と「子息」は同じ意味だと思うけど、
何か違いがあるかどうか聞かれて、あれっと考え込んでしまいました。
なんと説明すれば良いか、教えて下さい。
そう、意味は同じですね。ただ、使い分けがあります。
次を参考にしてください。

「うちの息子は、・・・・・・・でね。」
「うちの子息は、・・・・・・・でね。」 ×
「山田さんの息子は、・・・・・・・ですね。」 山田さんと親しければ○、親しくなければ×
「山田さんの息子さんは、・・・・・・ですね。」
「山田さんの子息は、・・・・・・・ですね。」 ×
「山田さんのご子息は、・・・・・・・ですね。」

博 幸
日 本
84
職場に外国人の部下がおります。
日本語は相当に達者で,毎週,部下の母国の現地紙を
日本語に翻訳する仕事をさせております。

その中で,次のように翻訳した文章があり,
私としては ちょっと違和感があったので修正を指示したのですが,
理由を明確に伝えられませんでした。

当初の翻訳文 「昨年現在,韓国の代表フェスティバルは2つある。」
修正指示 「昨年時点で,韓国の代表フェスティバルは2つある」

部下は,統計などで「○○○%(2007年現在)」という使い方もあるので,
問題ないと思ったと言います。
ただ,よく考えると,「昨年末現在」「2007年末現在」など
「末」の字を加えれば違和感はなくなるような感じがします。

部下の例示した「2007年現在」という使い方は
おかしいのではないでしょうか。
また,私の修正指示も「昨年末現在」とすれば よかったのでしょうか。
日本語教師だから知っているというわけではなく、 私見としてお話するのですが・・・・。

『昨年現在』も『2007年現在』も、私も違和感を覚えます。
『〜現在』は、統計をとる場合によく使われる言葉ですが、
おっしゃるとおり、『昨年末現在』とか『2007年8月末日現在』とか、
統計を取った時点を明確にしないと取った統計の値打ちが下がります。
統計を取った『時点』が、『期間』になってはいけないと思います。

多分、『昨年現在』、『2007年現在』は、
『昨年末現在』も『2007年末現在』の意味で使われているとは思うのですが、
私はすっきりしません。

『昨年時点で』も、『昨年末の時点で』にした方が 私の好みに合います。
でも、これって、単なる私の好みかな?とも思います。

さくら
日 本
83
名詞関連Q9で、顔見知りと人見知りについて取り上げてあります。
私もその違いについて考えてみました。

顔見知りは名詞で連語というものなのでしょうか。
         する動詞をつけることはできないと思います。
ところが、人見知りは名詞であると同時に、
する動詞をつければ動詞になると思います。
連語の定義は、諸説あります。
『複数の単語が繋がって、1語の単語のような働きをする』
ということなのですが、解釈はいろいろあるようです。
         例えば『公園の池』という場合、『公園の』も『公園の池』も
         連語だとする意見があります。
         そうなると、どれもこれも連語になるので、
         私は勝手に、例えば『顔見知り』は、2語あるいは3語で出来ている
         というより、もう1語の名詞として定着しているとしています。
         
これは、私の個人的な意見です。
私も、連語という言葉を使うことがありますが、
ある単語が連語であるかどうかは、さして重要なことだと思っていません。

『する』をつけると動詞になるのは、原則、漢語名詞です。
『お茶する』『お母さんする』などの和語を使った『する動詞』も最近耳にしますが、
慣れてきて、違和感が薄れてきました。

『人見知りする』には、違和感がありませんが、
『顔見知りする』は、全く使いません。

でも、もっと何年か経つと、『顔見知りする』も使うようになっているかもしれません。

sakakura
日 本
82
よく物事の状況を表す言い方として「可能性」と言う言い方をしますが、
本来はその物事や状況が好転できる余地がある場合に使うと思います。

例としてスポーツ等で
「相手チームの敵失を恃まず自力で優勝できる可能性がある。」や
事件や裁判において
「証拠や条件、状況によっては無罪となる可能性がある」等
良い事や状況が良くなると言う希望が込められていると思います。

物事が悪化するなどの場合は「危険性」であると思います。
「喫煙は癌になる危険性が指摘されている」や
「密閉された部屋では中毒の危険性がある。」と言う風に使うと思うのですが
最近では「可能性」と言う言葉が悪い方向へ向かう時にも使われています。

この用法はおかしいのではないでしょうか?
過日病院で肺に影があると言われたとき、
「これって、癌の可能性があるんですか?」と担当医師に尋ねました。
お医者さんも、「はい、その可能性もあります。」と答えていました。

『危険性』を使うときは、例えば命に関わることとか、人生の重大事とか、
『可能性』よりも更に深刻な状況とかではないかと思います。

肺に影があるというのは、場合によっては命に関わることですが、
私が知りたかったのは、○か×かです。
しかも、「癌ではない。」と言ってもらいたいという気持ちを込めての質問でした。

その他の用例を挙げることはここでは省略しますが、
私は、『可能性』という言葉を悪い方向へ向かう時に使っても、おかしくないように思います。

南十字星
日 本
81
メール交換している外国人の友達からのメールに
「イタリアに旅行に行き、朝から晩まで足まめに美術館をまわりました。」 と、
書いてありました。 なんとなくしっくりきません。
「足まめ」という表現は、自分ではなく他人を評価する言葉のような気がします。

例えば、
○「彼は学生時代映画館に足まめに通っていた。」
×「私は学生時代映画館に足まめに通っていた。」

ご意見をお聞かせ願えないでしょうか? 宜しくお願いします。
うーーーん。 私はそもそも、『足まめ』とは、言わないような気がします。
でも、無意識には使っているかもしれません。 よく分かりません。

周辺の人に聞いてみたところ『足まめ』とは言わないと言っていました。
でも、国語辞典には出ていたので、『足まめ』と言うか言わないかは、
地域性によるものなのかもしれません。

でも、『こまめに身体を動かす』『筆まめ』は、よく使っていて、自分のことにも使っています。
その延長ですので、『足まめ』の意味はもちろん分かりますし、
違和感があるわけではありません。
『足まめ』を自分のことに使う人がいても、私自身は問題を感じないのですが、
結構個人差があることなのかも知れません。


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