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助動詞関連いろいろ表記関連

 名詞関連(1)
lmwu
日本以外
日本語歴:不明
10
持て成しの使い方をおしえてください
『持て成し』は現代日本語では、『ごちそう』の意味です。
人によっては、『心をこめた接待』という意味も含むかもしれません。

こんなふうに使います。
*お持て成しありがとうございました。
*何もお持て成しできませんが、どうぞゆっくりなさって下さい。
*昨日、妹の先生をお持て成ししました。  等

ご質問の回答は、これでよかったでしょうか。

中 国
日本語歴:13年
9
質問ですが、 @顔見知り A人見知り という言葉があります。
<見知り>は、辞書に<見覚え>と解釈しています。
人間は普通、顔で他人を覚えるから、顔=人、という考え方もありますね。
しかし、上記2つの言葉は全く逆の意味で、理解しにくいです。
根拠のある解釈を頂ければと思います。
なるほどねぇ。恥ずかしながら全然気がつきませんでした。
結論から言いますと、分かりません。どなたかご存知の方、教えて下さい。

でも、ちょっと考えてみました。何の根拠もなくです。
(1) 『見知る』を『〜を見る、そして 〜を知る』だと考えてみました。
そうすると、 『顔見知り』は、『顔を見る、そして 顔を知る』
『人見知り』は、『人を見る、そして 怖さを知る』?
(2) 『人見知り』と同じ意味で『人不見』(ひとみず)という言葉があります。
方言だと言われていますが、こちらが語源であって、
『ひとみず』を『人見知』と表記するようになり、『ひとみしり』となった?
(3) 『見知らす』という言葉があって、その意味の一つに『酷い目にあわせる』
というのがあります。この意味から来ている?

どれも苦しいものばかり。

Jackさん(日本)からご意見をいただきました。

人見知りは、「人+見知る」ではなく、「人見+知る」ではないかと思います。
旺文社 国語辞典では
人見・・・ 1、
2、
外が見えるようにしたすきま。
他人の見るところ。よそめ。
となっております。
よって、他人のみるところを知る。
ということは、己が他人の評価を知ることになるので、己が恥ずかしい。
ということになるのでは無いでしょうか。

知 恵
韓 国
日本語歴:4年
8
 *電車の方が速いですか、タクシーの方が速いですか。
 (   )も同じぐらいです。
この文章における解答として、  
  1)どちらも同じぐらいです。  2)どちらでも同じぐらいです。
ふたつとも解答になると思いますが、これは何か意味の差があるんでしょうか。
 *コーヒーと紅茶とどちらのほうがいいですか。
  (どちらでも)けっこうです。
この文章を、(どちらも)けっこうです。  といったらまちがいでしょうか。
これは個人的には間違いだと思われますがどうでしょう。
『どちらも』と『どちらでも』の違いですが、 どう説明したらいいか、ちょっと迷っていますがーー。
『どちらも』は、二つの事柄をまとめて一つにして考えています。
『どちらでも』は、二つの事柄を別々だと意識して考えています。
ですから、「電車かタクシーか?」という場合は、 どちらを使ってもOKです。
「電車もタクシーも同じぐらいです。」
「電車で行ってもタクシーで行っても同じぐらいです。」
ところが、「コーヒーか紅茶か?」という場合は、
「どちらもけっこうです。」と答えると、 「両方飲みたい。」ということになるでしょう。
更に悪いことに、『けっこう』という不思議な言葉のせいで、
「両方いらない。」と断っていることにもなりかねません。

レ オ
アメリカ
日本語歴:2年
7
1月、2月、3月ーーーの他の言い方があると聞きました。
教えて下さい。
旧暦といって、昔は現代のとは違った暦を使っていました。
その当時の月の呼び方です。五月、師走等は、現代でも使うことがあります。

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
睦月 如月 弥生 卯月 五月 無月 文月 葉月 長月 神無月 霜月 師走
むつき きさらぎ やよい うづき さつき みなづき ふみづき はづき ながつき かんなづき しもつき しわす


イ ム
韓 国
日本語歴:不明
6
韓国から日本語を習いに来ました。
分からないことがあるから質問します。
「勉強しているのです。」と「勉強していることです。」の違いが分かりません。
韓国語で言うならば2つ同じようにかきます。
日本人の友だちにきいたら、
「『勉強していることです。』というならば 少し変な感じだ。」といわれました。
よくわからないから教えてください。
日本語の文法用語はいろいろで、統一されていません。
ですが、ここでは、形式名詞『こと』と『の』の違いについてのご質問だと理解しています。
それでよいでしょうか。

「勉強しているのです。」ですが、これは自分の気持ちを強く伝えたいときの表現です。
「勉強しています。」と較べてみて下さい。
「勉強していることです。」という文章は、場合によっては 使われることもあるでしょうが、
一般的には変な文章だと私も思います。
ですから、「勉強しているのです。」と比較できません。

一般論としての『こと』と『の』の使いわけですが、次の通りです。

まず『こと』ですが、たくさんの慣用表現があります。
〜ことがある   〜ことができる   〜ことだろう   〜ことにしている   〜ことにする
〜ことになる   〜ことだ   等   これは、覚えて下さいね。
慣用表現以外の形式名詞『こと』は、 『の』に置き換えられることが多いです。
細々とあるにはあるのですが、ここでは割愛します。

次ぎに『の』ですが、強調構文「〜のは、〜だ。」で使われます。
(1)私が好きなのは、音楽を聞きながら本を読むことです。   『の』→『こと』
(2)私が山田さんに贈ったのは、中国語の辞書です。   『の』→『もの』
(3)試験に失敗したのは、体調が悪かったからだ。『の』→『理由』
(4)私が目を覚ましたのは、午後1時でした。   『の』→『とき』
(5)山田さんに初めて会ったのは、新宿です。  『の』→『場所』
(6)コーヒーをこぼしたのは、太郎だ。  『の』→『人』
『の』を『こと』に置き換えられるのは、(1)だけです。

あと、述語が感覚を表す動詞の場合、『の』を使います。
(1)花子さんが勉強しているのを、見たことがない。   『の』→『ところ』
(2)太郎さんがピアノを弾くのを、聞いた。 『の』→『?』
この場合、『の』を『こと』に置き換えることは、できません。

『の』でも『こと』でもOKの場合、
『の』を使うと口語的で、 『こと』を使うとやや改まった感じがします。

ぼたんさんからご意見をいただきました。
述語が感覚を表す動詞の場合、『の』を使います。
(2)太郎さんがピアノを弾くのを、聞いた。
『の』→『?』 この場合、『の』を『こと』に置き換えることは、できません。
とありますが、感覚を表す動詞でも、
「聞く」ならば、『こと』に置き換えることはできるんじゃないかと思います。
例えば、
私は、李さんが発言するのを聞いた。(発言しているところを実際に見て、内容を聞いた)
私は、李さんが発言することを聞いた。(今度、李さんが発言するということを聞いた)
意味は違ってきますが。樹さんはどのようにお考えになりますか?

上記のAは、『実際に見て、内容を聞いた』場合についてのみ書きました。
ぼたんさんのおっしゃるように、意味を広げた方が回答が充実すると思います。

ぼたんさんから再度ご意見をいただきました。
引き続き考えていたのですが、
『の』の方は、その場にいないとできない時ということが多いかもしれませんよね・・?

例えば、

李さんが発言しているのを見た。
李さんが発言していることを見た。

×

(その場にいないと見ることができない。

李さんが資料を整理するのを手伝う。
李さんが資料を整理することを手伝う。

×

(その場にいないと手伝うことができない)

私は、李さんが発言するのを聞いた。
私は、李さんが発言することを聞いた。

(その場にいて聞いた)
(その場にいないと発言の内容は
聞くことができないので、意味が違ってくる)



私は王さんに、李さんが今、
資料を整理しているのを伝えた。
私は王さんに、李さんが今、
資料を整理していることを伝えた。
×

(李さんが整理しているその場で、
王さんに伝えるわけではない)

ひと括りにはできませんが・・


李さんが転勤したのを知っている。
李さんが転勤したことを知っている。

(2文とも○で、意味も同じ)

無理やり規則を持たせようとし過ぎでしょうか・・?

Hara
日 本
5
名詞なら『拘り』、動詞なら『拘る』という言葉ですが、最近では良いイメージ
のように扱われていて、おかしいと思います。
私は誰が何と言おうと、『拘り』にはマイナスのイメージを持ちます。
樹さんは、どう考えられますか?
そうですね。昔は『拘り』って、マイナスのイメージでしたね、確かに。
でも最近は、『安易に妥協しない』という、良い意味での『頑固さ』を表していますね。
私も、最近ではプラスのイメージになりました。
今では、プラスのイメージを持っている人が多いような気がします。
次回の日本語調査に加えてみましょう。
面白い結果が出るかもしれません。

日本語調査結果(29)]もご覧下さい。

セアダス
日 本
4
どーーーしても気になって仕方がないのでメールさせていただくことにしました。
たとえば、貴サイトのトップページにあるように 「私からの回答は、
さらに吟味して…。」 と言うとき、「返答」じゃなくて「回答」を使いますよね。
しかし、最近どこ(お客様センターなど)へ問い合わせを出しても
「返答します」と言われます。
私はこれは間違っていると感じるのですが
どう間違っているか説明できないのです。
「回答」と「返答」の違いを説明していただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
どちらも問いかけに対する応答という点では違いがないように思いますが、
私自身はニュアンスが 多少違うように思い、区別しています。
しかし、こういう感じ方は、それこそ個人差があることの様に思えます。
そこで知人に聞いてみたのですが、ちょっとびっくりする回答(返答?)がありました。

返答 回答
この言葉を使うとき、なぜかちょっぴり 『対決』の
雰囲気があるような気がします。
問いつめられているというか、
難詰されているというか、
あるいは、苦情を持ち込まれているとか。
ただ質問に対して答えているという
穏やかな雰囲気がします。
友人A 即答するときは、こちらを使う。 考えてから返事するときは、こちらを使う。
友人B 手紙での返事のときは、こちらを使う。 アンケートの答えには、こちらを使う。
友人C 話し言葉だと思う。 書き言葉なので、あまり使わない。

随分感じ方に差があるので、これって新鮮で嬉しくなります。
これをご覧になった方からの「私はこう思う!」というご意見を待っています。

セアダスさんから、再度お便りを頂きました。
私も「回答」のほうが穏やかな感じがします。
いつきさんのご説明、納得です。
先日、某社のお客様センターに問い合わせをして 「お客様のご質問に返答します」
と言われて なんだか口答えされてるような気がしてならなかったのです。
「返答」というと、呼びかけてるのに返事がないときに 「返答しろ」と言ったりするので、
おっしゃるとおりちょっと穏やかではない雰囲気ですよね。

日本語調査結果(21)]もご覧下さい。

中学生B
フィリピン
日本語歴:5年
3
氏名と名前とどう違うのですか。
姓・苗字(みょうじ)・名字(みょうじ)・氏は、家族名を表します。
昔は『氏』と『苗字』は少し違ったのですが、現代では同じ意味でも使います。
名前・名は、個人一人一人にあるものです。
『氏名』は、『家族名+一人一人の名』。
『名前』は、『家族名+一人一人の名』のときと、『一人一人の名』のときがあります。
他に『姓名』という言い方があります。これは『氏名』と同じです。

では、これらの使い方にどう違うのでしょうか。
『氏名』は、書類等に書くときに多い。
『名前』は、会話で使うことが多い。
『姓名』は、『姓名判断』といった時以外、現代ではあまり使いません。

人に名前を聞きたいとき、
「お名前はなんですか?」と聞きます。
「ご氏名はなんですか?」「ご姓名はなんですか?」とは聞くことは、
日常会話ではほとんどありません。

ハリケーン
日 本
2
私は、「みんな」という言葉が嫌いです。
「みんながいうから。」というのは、自己責任の放棄だと思うんです。
樹さんは、どう思われますか。
私も使い方によっては、好きでない言葉になります。
今思い出したのですが、ある人から助言を受けていたときです。
成田空港に行くのに、空港バスは良くないとかいった話でした。
なるほど、と私も思っていたとき、最後に「みんなも言ってるよ。」
「みんなって、誰?」と聞き返すと、「ほら、みんなよ。」
これは、ささやかな話なのですが、一般的に助言を受ける時、
個人の意見として助言してもらうほうが、気持が良いです。
うっかりすると、自分の意見を補強するために、『みんな』を使うことがありますね。
『みんなの意見』の中に、『自分の意見』を埋没させるのは、
ハリケーンさんのおっしゃる『自己責任の放棄』ですね。
ホント、そうなんですね。

これとは少し違うのですが、『みんな』って本当に曖昧な言葉ですね。
そう思った例を二つ書きます。
(1) 友人Aさんとの会話です。
Aさん: 「芸能界って、みんなXXX(ある宗教団体)ね。どうしてなのかな?」
私 : 「えっ、そうなの?誰?」
Aさん: 「えーっと、Xさん。それからYさん。他は知らないけど、誰かいるよ。」
Aさんは、ぱっと気が付いただけでも二人いたんだから、実際は非常に多いだろうと
思ったのでしょうね。

(2) 別の友人Bさんと飛行機で旅行していたときです。
風が強くて飛行機が着陸できず、すごい風の中飛行機は揺れに揺れて
空港上を旋回していました。で、気分が悪くなって吐く人が出ました。
Bさんも吐いていました。
帰国して、Bさんとの共通の友人Cさんに会ったときの会話です。
Cさん: 「Bさんに聞いたけどたいへんだったのね。」
私 : 「えっ、なに?」
Cさん: 「飛行機が揺れて、みんな吐いたんだって?」
私 : 「あーっ、そう言えば吐いていた人もいたね。」
Cさん: 「えっ、そうなの?殆どの人が吐いたのかと思ったよ。」
Bさんは、自分も吐いたけど、自分だけじゃなかったと言いたかったのでしょうね。
ところがCさんは、殆どの人が吐いたと受け取ったようです。
結局『みんな』というのは、『全部・全員』という意味の他に
『多い』という意味があって、その『多さ』に関しては、非常に個人差があるということなんですね。
それともう一つ、具体的な名前などを出したくない、あるいは、はっきりしていないときに
使うのですね。

中学生A
日 本
1
この間テレビを見ていたら、アフガン情勢をレポートしている人が、
「こんなに難民が増えたのは、タリバンのお陰です。」と言っていました。
これおかしいですよね。
でも、どこが変なのでしょうか??
確かにおかしいですね。
では、なにがおかしいのか考えてみましょうね。
『お陰』ですけど、これは良いことが起こったとき、感謝の気持で使うことばです。
良い結果が出たとき、「私の見えないところで、いろいろなことをして下さって、ありがとう。」
という気持を表しています。
悪いことが起こって、その原因の所在をいうときは、『せい』を使います。
「あなたのせいで、ひどい目にあったよ。」
「この椅子のせいで怪我をした。」等。
でも最近は、悪いことが起こったときでも『お陰』を使うことがありますね。
「あなたのお陰で、ひどい目にあったよ。」
「この椅子のお陰で怪我をした。」も、それほど変じゃないかも。

みんなで間違えれば、それが正しい日本語になる!!

それはそうですが、「こんなに難民が増えたのは、タリバンのお陰です。」
なんて絶対言いたくないですね。やはり変ですよ。



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