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助動詞関連いろいろ表記関連

動詞関連(9)
日本語教育では、五段活用動詞をTグループ、一段活用動詞をUグループ、
『くる』『する』をVグループと呼ぶことがあります。
ユ ミ
日 本
90
例えば「食べます」→「食べません」 「〜します」→「〜しません」
否定形はこのような形ですが、
私たちは「食べないです」「〜しないです」
という言い方をしていることがよくあります。
どちらも正しいのですか?
正しいか正しくないかは、何を基準にするかで違ってきます。
『食べないです』『〜しないです』は、新しく出てきた言い方です。
OKにしている日本語学校とかもあるでしょうし、 許容にしているところもあるかと思います。

REGINNA
香 港
日本語歴:9年
89
お客さんからの荷物が届いています と 
お客さんからの荷物が届きました 
それぞれどういう場合に使いますでしょうか?
状況によって違うので、これだけでは何ともいえないのですが、
次のような違いがある場合もあります。
「お客さんからの荷物が届いています。」
  (1)届いた荷物が保管されている。
「お客さんからの荷物が届きました。」
  (1)今荷物が届いたばかりである。
  (2)届いた事実はあるけれど、保管されているかどうかについては言及されていない。
まだあるかもしれません。

吉 田
日 本
88
「生じる」の使役?形は、 「生ぜしめる」でしょうか?
あるいは 「生じせしめる」でしょうか?
どうやって、調べたらよいかも分からない状況で、困り果てております。
日本語の使役受身に短形と長形があります。
長形のerを抜くと短形になります。
yomaserareru
yomas  areru
読ませられる
読ま さ れる
長形
短形
同様に、『生じせしめる』『生ぜしめる』も、長形/短形の関係ではないかと思います。
長形のisを抜くと短形になります。
shouzisesimeru
shouz esimeru
生じせしめる
生 ぜしめる
長形
短形
確認がとってないのですが、 多分、こういうことだと思います。
.
坂 元
日 本
87
以前から気になっていた日本語がありまして
いくつかの辞書を調べても「いかれる」「いかれない」は
出てきませんでした。

そもそも、東京に在住しておりました私は
30歳になって初めて神奈川へ越してきたのですが
神奈川県民がこの言葉を方言のように当たり前に
使用していました。共通性の無い友人同士でも
なぜかこの点では一致しており、
また、職場でこの言葉を使う人に出身を伺うと
神奈川県と皆さんおっしゃいました。

使い方ですが
「行ける」(行くことが、できる)が「行かれる」になります。
「行けない」(行くことが、できない)が「行かれない」になります。

尊敬語の「行かれる」(お行きになる)とは全く違った使い方をします。
また「あいつはいかれている」(おかしい)と言うのとも違います。

ただ、この言葉かなり広く使われているようで
特に否定形の方ができない、という意味でも使われていて
「生きていかれない」という言葉もよく使われるようです。

そして童謡の「花いちもんめ」でも
♪鬼が怖くていかれない♪
と唄われています。

この「いかれない」と言う言葉は一体どういうものなんでしょう。
何かアドバイスがいただけましたら気持ちがすっきりすると
考えております。どうかお力を貸してください。
『行かれる』『行かれない』は古い日本語が残ったものである、
という説があるようです。

でも、辞書にないとおっしゃっていることに引っかかって、
市立図書館に行って調べてみました。
国語辞典、古語辞典、方言辞典、俗語辞典、江戸語辞典等を
片っ端からみてみたのですが、どれにも出ていませんでした。
古語と一口に言っても、長い歴史があるのだからと、無理無理納得しました。

俗語辞典に1冊だけ、『行けれる』が出ていました。
私は、成人してから神奈川に、出たり入ったりしながら住んではいるのですが、
『行かれる』『行かれない』にあまり馴染みがなく、
むしろ、広島出身の友人が『行けれる』『行けれない』をよく使うので
こちら方が、意識の中にある言葉です。

これは、五段活用動詞の可能形 行く→行ける
行けるを、さらに可能形にして、行ける→行けれる→→行けれない、
そして、この『行けれる』『行けれない』が、
『行かれる』『行かれない』に転じたのではないかと
どの辞書に出ていないということを根拠に、推理を楽しみました。
まぁ、でも、違うと思います。

「あいつはいかれている。」の『いかれる』は、
『行く』の受身形で、『先を越されて頭にきている』といった意味から
きているのだろうという推理の方が、正解である可能性が高いと思います。

『行かれる』『行かれない』が神奈川の方言であるかどうか、
神奈川生まれで神奈川育ちの友人に聞いてみたところ、
「『行かれる』『行かれない』と『行ける』『行けない』を
はっきり意識はしていないけれど、使い分けをしながら両方使っているようだ。
方言かどうかはわからない。」ということでした。

ヤコピさんから、ご意見をいただきました。
「行ける」は下一段活用の可能動詞であり、五段活用の「行く」とは別の動詞です。
「行く」の可能形は、「行かれる」(未然形「行か」+可能の助詞「れる」)です。
しかし、時代が進むにつれ、
五段活用の動詞の可能表現には可能動詞が多用されるようになり、
未然形+「れる」の形はほとんど用いられなくなりました。
わずかに、「鬼が怖くて行かれない」の他に
「越すに越されぬ」「見捨てておかれようか」「やっとられんわ(やっておられんわ)」等、
慣用的、時代的表現の中に用例が残るのみです。
ただ、この「行く」だけは、例外的に
現代でも可能の意味で「行かれる」の形がしばしば用いられます。
私は東京下町の人間で、主に「行ける」を使いますが、「行かれる」も時々使います。
意味での使い分けは特にないのですが、語調や、相手に合わせて
「行かれる」が不意に出るという感じです。

Masahitoさんから、ご意見をいただきました。
東京で生まれ育って、
「行かれる」は可能の意味では使うことはなかったと思いますが、
30代になって北九州市に行ってからたまに使うようになった気がします。
(北九州では可能形は動詞の連用形に可能の助動詞「きる」をつけて使います。
「泳ぎきる」は泳ぐ能力があって泳げる。
「泳がれる」は「水が汚くないので泳げる」、とか
「流れが速くないので泳げる」というように状況が可能である場合に使うようです。
ネイティブでないので正確にはわかりませんが。

[日本語調査結果(142)]もご覧下さい。
.
ちょうしぐん
中 国
日本語歴:20年
86
今回の問題は、日本語動詞の中の自動詞、
とくに人間の意志ではコントロールできない感情を表す動詞
たとえば「驚く」「慌てる」などは
原則的には可能形や意向形は作れないことになっているのですが、
(『日本語基本動詞用法辞典』にも
上の動詞の活用に「可能」「意志」の項目に「なし」と掲載されている)
しかし、ネットで検索していたら、
「驚ける」や「驚くつもりはないが」の用例はたくさん出てくるのです。

いったいどういうふうに理解したらいいでしょうか。
それとも、用例の可能形は可能ではなく、自発の意味?
意向形の「つもり」は打ち消しの形で使う場合、意志ではなく、予測の意味?

「有名すぎてちっとも驚けないし・・・」
「これはすごい!」と本当に驚ける一品」
「もう、何をされても驚くつもりはない」
「私はといえば、実家に帰るという選択肢も残っているので慌てるつもりも無く、
少しずつ家具や家電を運びこんで居住環境を整えていくことにしている」
日本人も、分かっているつもりでも実は分かっていないことがたくさんあります。
私も疑問にぶつかって、頭を抱えることもしばしばです。
それに、当サイトで行っている『日本語調査』を見ていただくとお分かりかと思うのですが、
同じ日本人でも、意見は結構割れるものです。
>『日本語基本動詞用法辞典』の動詞の活用に『意志』ーーーー
という点ですが、多分この『意志』というのは、『歩く→歩こう』『食べる→食べよう』といった
意志形(意向形)のことを言っているのではないかと思います。
『〜つもり』は意向表現ではありますが、意向形そのものではないと
私は考えています。

日本人が全て美しい(敢えて正しいとは書きません。)日本語を
話したり、書いたりするとは限りません。
知らず知らず間違っていることもあれば、誤用と知っていながら 使っていることもあると思います。
『日本語基本動詞用法辞典』に出ていることに従うのが良いと思います。
ネットで流れている日本語や日本人が普段使っている日本語には、
誤用もかなりあると思っていて間違いないでしょう。
何が誤用か?ということも厳密には問題になりますがーー。

日本語に限らず、どの言語でも多かれ少なかれ同じではないかと思います。

日本語を学んでおられる初級、中級の方には、
伝統的な日本語を学んでいただくようにしています。
しかし、日本語歴20年以上の方となると、話は別です。

>「有名すぎてちっとも驚けないし・・・。」
>「これはすごい!」と本当に驚ける一品
   私は、これは誤用だと思います。
「有名すぎてちっとも驚かないし・・・。」
「これはすごい!」と本当に驚く一品
   と書くのが本来でしょう。
しかし、ここで可能形を使うことで、インパクトが強くなるという効果があり、
そういう意味では、本来は間違いともいえるのですが、許容にしても良いかな?と思います。

>驚くつもりはない
>慌てるつもりはない
   実は、私もこの言い方はしてしまうのです。
『つもり』の前に、意志のない動詞は本来こない、と思うのですが、
おっしゃるとおり『予測』と言いますか、意志の表現として使っても良いかな?と思います。

ヤコピさんから、ご意見をいただきました。
「慌てる」には二通りの意味があります。
Q86、「、、、選択肢も残っているので慌てるつもりも無く、
少しずつ家具や家電を運びこんで、、、」では、
「性急に事を運ぶ、急ぐ」という意味であり、
意向を表す「つもり」を接続することができます。
また、自分の意志でコントロールできない
「落ち着かずうろたえる」という意味の場合でも、
可能形や意向形が使われないのは、文法的に間違っているからではなく、
現実的に使われる状況が稀で耳慣れないというだけのことです。
「慌てたくて慌てているんじゃない」のような表現も存在します。

調査141と同様ですが、「驚く」が可能形や意向形として使われないのは、
間違っているからではなく、使われる状況が少ないからです。
最近、サプライズ・ゲスト、サプライズ・コンサート、サプライズ・パーティー等、
予定外の「驚き」をウリにした企画が流行っていますが、
内容が期待外れの場合、「驚こうとしていたのに驚けなかった」、
内容が期待以上の場合、「驚かないつもりだったのに驚かされた」と使えます。
参照された辞典は、どうも状況と文法を混同して可否を説明しているようです。

[日本語調査結果(140)][日本語調査結果(141)]もご覧下さい。

Nami
日 本
85
「はじまる」と「はじめる」

「はじまる」はご存知の通り、自動詞。
例えば、「授業が始まる。」「好きな番組がはじまる」ですよね。
ここでは主語は人よりも、主体になる物や出来事が主語になり、
助詞は”が”になります。

「はじめる」は、他動詞。 
例えば、「(私は)授業を始める」「テニスを習い始める」。
例のように、主語(人)が何か(目的語)を始める時に使います。

では、ここで、質問です。
「雨が降り始めます」や、「飛行機から人が出始めます」等の場合、
本来なら「始める」は他動詞ですが、
この場合、自動詞的な役割にになっていますよね。
主格助詞も”が”ですし、見た目からは完全に自動詞です。
この場合の文法の法則は何でしょうか。
それとも、これは例外扱いになるのでしょうか。

この場合、雨や人など、動きのある名詞、だから故に、
「始める」を使うのでしょうか。
生徒からは、じゃ、どうして「はじまる」という自動詞がちゃんとあるのに、
「雨が降り始まる」とは言わないのか、と言われました。
樹さんはどう思いますか。
動詞と動詞を組み合わせて複合動詞を作る場合の
自動詞と他動詞の問題は、私も疑問に思っています。

全ての動詞が複合動詞になれるわけではありません。
対応する自動詞・他動詞を持つ動詞は、
自動詞・他動詞とも複合動詞の『後の動詞』になるという傾向があるようです。
呼ぶ
飛ぶ
(他)
(自)
+
+
かける
かかる
(他)
(自)

呼びかける
飛びかかる
(自)
(自)
持つ
持つ
(他)
(他)
+
+
上げる
上がる
(他)
(自)

持ち上げる
持ち上がる
(他)
(自)
盛る
猛る
(他)
(自)
+
+
立てる
立つ
(他)
(自)

盛り立てる
猛り立つ
(他)
(自)

他に、『終える・終わる』『降ろす・降りる』『つける・つく』『続ける・続く』等があります。
しかし、『始める』が『後の動詞』になっても、『始まる』が『後の動詞』になることは
ないのかな?と思います。そういう例を、私は未だ見つけていません。
もしないとするならば、例外というか傾向から外れることになりますね。

また、自動詞と他動詞を組み合わせた結果、
自動詞になるか他動詞になるかについても規則らしきものが見つかりません。
降る (自) 始める (他) 降り始める (自)
泣く (自) 落とす (他) 泣き落とす (他)
売る (他) 急ぐ (自) 売り急ぐ (他)
抱く (他) つく (自) 抱きつく (自)

『前の動詞』は、他動詞が多いかな?とは思うのですが、これもあくまで傾向です。

ですから、私は「雨が降り始まる。」と、どうして言わないのかと聞かれたら、
「動詞と動詞で作る複合動詞の場合、
複合動詞を作った元の動詞が自動詞であったか他動詞であったかは、
出来上がった複合動詞が、自動詞であるか他動詞であるかにあまり関係がない。
複合動詞を一つの動詞と見て、自動詞であるか他動詞であるか考えた方が良い。」
と答えます。

坂 元
日 本
84
文を書いていて気になったことなのですが、
『ですます調』の『ます』の使い方で、
『〜してます』
『〜しています』
これはどちらも正しいのでしょうか?
『〜しています』が丁寧な言い方というだけでしょうか?
人間横着にできているもので、できたら余分なものは省略したいと思うものです。
『〜しています』の『い』を省略したものが、『〜してます』です。
正しいとはどういうことか?というこのになりますが、
どちらを使っても、意味が通じるという点では、問題ないかと思います。

しかし、全く同じかというとそうではなくて、
おっしゃるように『〜しています』の方が丁寧であり、
会話で使われることがより多いと思います。

日本語を教えるとき、まず『〜しています』の方を教えます。
『〜しています』がちゃんと言える様になってから、
会話で『〜してます』と言う様になっても構わないと思うのですが、
最初から『〜してます』は、NGにしています。
仕事の面接を受ける場合等、『〜しています』と言えた方が
ポイントが高いだろうと思うからです。

Dmitry
ロシア
日本語歴:1年+
83
「助ける」と「助けてやる」の意味はどこが違いますか。
それと「やる」って 動詞はどんな意味をもたらしますか。
この場合の『やる』は補助動詞と言います。
『助ける』という動詞に意味をプラスしています。 ちょっと乱暴な日本語です。
これより優しい日本語だと『助けてあげる』となります。

まず、『助ける』『助けてあげる』との違いです。
「私は山田さんを助けた。」と言った場合、 ただ、事実を事実として述べています。
「私は山田さんを助けてあげた。」と言った場合、
言い方にもよりますが、 「私は親切でしょう?」とか、
「私は能力があるでしょう?」とか ちょっと自慢するようなニュアンスが加わることもあります。

「私は山田さんを助けてやった。」と言った場合、
山田さんを馬鹿にしている感じとか、自慢している感じとかが、
『助けてあげた』より強くなります。

window
日 本
82
済むのなかにも、いくつか意味があり、終わる、間に合う、
解決する、完了するなどの意味が辞書にあります。
その中の「済む」がもつ「終わる」の意味について質問します。

日本語を教えている学生から、「パーティーは何時におわりますか。」を
「パーティーは何時に済みますか。」と言ってもよいかと質問されました。
確かに済むは終わるという意味をもっていますが、
なんとなく意味が違うように感じました。
済むという言葉が、
解決するなどの意味をもっているからかどうかわかりませんが、
「済む」には、何か困難なことがおわったり、
自分の気持ちにもよりますが、
何か嫌な事を終えるような印象が私にはあります。
だから、「パーティーは何時に済みますか。」というと、
少し、パーティーがいやだという印象がして、変な感じがしました。

ただ、辞書の例文を探していくと、食事が済むというものがあり、
これには、私の考えはあてはまらない気がしました。

ご意見をいただければ幸いです。
私は『済む』を『終わる』の意味で使うとき、
基本的には『きちんと終わる』というニュアンスがあるように思います。
でも、いろいろな使い方がありますね。
* 単に『終わる』という意味で使われる場合
 例:食事が済んでから電話します。
* 『きちんと終わる』とう意味で使われる場合
 例:宿題が済んでから遊びなさい。
* 『困難なこと』『嫌なこと』が終わるという意味で使われる場合
 例:やっとのことで会議が済みました。
でも、これってどれも『済む』を『終わる』に置き換えてもOKです。
ということは、『済む』と『終わる』の違いはほんのわずかだということでしょう。

「パーティーは何時に終わりますか。」「パーティーは何時に済みますか。」ですが、
誰が誰に尋ねているかでも違ってきます。
(1)パーティーに参加する人が、パーティーの主催者に尋ねている。
(2)パーティーに参加する人が、他の参加者に尋ねている。
(3)パーティーに参加する夫に、妻が尋ねている。
まだ他にもいろいろ考えられます。

状況設定が示されないとお答えしにくいことがありますが、
この場合「置き換えてもOKだと思う。」と、とりあえず答えます。

嶋 田
日 本
81
仮定の譲歩「たとえ〜ても」で
名詞のときは「〜でも」 イ形の形容詞は「〜ても」 ナ形の形容詞は「〜でも」
となるのはわかるのですが,
動詞になると,「降っても」,「勉強しても」,「飲んでも」などの
3通りが出てきます.
どのように見分ければよいのでしょうか?
イ形の形容詞、ナ形の形容詞という言葉をお使いなので
動詞の『て形』についてもお分かりだと思います。
『て形』の音便の発生の仕方を整理なさるのがよいと思います。
て形+も になっていますから。



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