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助動詞関連いろいろ表記関連

動詞関連(12)
日本語教育では、五段活用動詞をTグループ、一段活用動詞をUグループ、
『くる』『する』をVグループと呼ぶことがあります。
ミラベル
日 本
120
「みんなの日本語」を使用して日本語を教えています。
第9課で「ミラーさんは車があります」、
「ミラーさんは用事があります」などというように、
「〜がある」を「〜を持っている」という意味で使っている例文があります。
「用事」、「約束」、「仕事」など、
具体的な物ではなく抽象的なものに対しては通常使う表現ですが、
「車」、「ラジオ」、「本」など具体的な物の所有を表現する場合は
「〜を持っています」の方が自然で、
「〜があります」という言い方に違和感を感じます。

一度、日本語教師のミーティングで質問したところ、
この言い方は名古屋などの一部の地域ではよく使われるが
標準語としてはおかしいという意見がありました。
そのときはそれで納得して生徒にもそのように説明していたのですが、
「細かいお金がある」という表現もあり、
これには違和感を感じませんでしたので、いろいろと考え続けてきました。
特に会話では「ビールある?」、
「車があったらドライブできるのに」などと使い、違和感がありません。
ただし、「ビールある?」など、質問形式の場合は、
「所有」の意味だけでなく「存在」の意味も含まれるように思いますので、
これは存在を表現する「ある」のように使われているのかもしれませんが。
「車があったら」の場合は、「細かいお金がある」と同様に
「所有」の意味ですので、説明ができず困っています。
そこで考えたのが
所有者を明確に示すと違和感が出るのではないかということです。
「私は車があります」や、「あなたは車がありますか」と言うときは
「私は」や「あなたは」を省略するのが普通です。
ところが「ミラーさんは車があります」と所有者が第三者で
明確に示されると違和感を感じます。どうお考えになりますか?
「ミラーさんは車があります。」「ミラーさんは用事があります。」
という言い方に私は違和感がありません。
(名古屋に近いところで育ったからかもしれません。)
ですから、えっ、そういう考えの方がいらっしゃるのだと少し驚いて読ませていただきました。

でも、私の周辺ではこの件が問題になったことがありません。
また、日本語教師の草分け的な先生から、
「多少違和感があっても、学習者の負担を軽減するために、
文型・文法をシンプルにしていることもある。文部省とは、かなりやりあってきた。」
というお話を聞いたことがあります。
そのことを念頭においているので、私の場合は、違和感がないのかもしれません。

ミラベル
日 本
119
「山田さんは子どもが2人あります」というような表現のとき、
「子ども」の場合は
「あります」と「います」と両方使われているように思いますが、
「彼」、「彼女」、「恋人」などの場合は「います」がよく使われているので、
その違いが説明できず困っていま す。
お考えをお聞かせいただきたく、メールしました。
『ない可能性のある家族』(子供、兄弟、姉妹)には、『あります』を使い、
『家族じゃない親しい人』(彼、彼女、恋人)には、『います』を使う傾向があるのでは、
と思っています。あくまで、傾向があるということです。
『兄弟・子供などの家族』は、一種の『所有物』的雰囲気があるからではないでしょうか。
父、母、祖父、祖母は、亡くなっているかどうかとか
法律上の問題とかは別して、 誰にも必ずあります。

父があります。
父がいます。
×
×
(特別な状況でない存在の意味では言いません。)
弟があります。
弟がいます。


chuang connie
中 国
日本語歴:4年
118
最近、こんな文章を見ました。ちょっと疑問がありますが。
「京子さんはきれいにした部屋を猫に歩かれました。」
もし、「京子さんはきれいにした部屋を猫に踏まれました。」
と書き直したら、よろしいですか。

両方ともできますか。 それともどちらが日本人にとって変ですか。
『踏む』は瞬間動詞で、『歩く』は継続動詞です。
また、『踏む』は、ある狭いもの/場所に対する行為です。

足を踏む スカートの裾を踏む 影を踏む はOKで、
足を歩く スカートの裾を歩く 影を歩く はNGです。

「京子さんはきれいにした部屋を猫に歩かれました。」はOKで、
「京子さんはきれいにした部屋を猫に踏まれました。」はNGです。

まおまお
日 本
117
フィギュアスケートの浅田真央さんの語録が話題になっています。
私の職場でも、「ノーミスする」がおかしいかどうか、
ちょっとした議論になったのですが、樹さんは、どう思われますか。
『○○する』という動詞は、漢語動詞と言われ、
『○○』の部分には漢語(音読みする漢字語)がくるのが本来だとされています。
ところが最近になって、『○○』部分に『お母さんする』等の和語も使われるようにもなりました。
更に英語で『ミスする』等もおかしいと思わなくなっています。

「私は仕事を持っているので、子供の面倒が余り見られません。
それで、土・日は、しっかりお母さんしています。」
といった文章は、言いたいことが的確に伝わって、なかなか良いなと思います。

『ミスする』もよく耳にするようになって、今は違和感がありません。
『ノーミスする』は、耳慣れないので、アレッと思いはしますが、
要は慣れの問題だという気がします。

最近意味が的確に伝わるなら、なんでもアリだと思うこともあり、
まぁ、いいんじゃないかと思っています。

目下修行中
日 本
116
変な質問と思われそうですが、
以前から気にかかっていたので質問させて下さい。
日本語の受身文は、
基本的には迷惑の意味があるんじゃないでしょうか。
一緒に日本語教師修行中の知人にそのことを話すと、
「ほめられる」という例をひいて、「そんなことないよ」と言われました。
そのときはそれで納得したのですが、
後になってみると、やはりまた気にかかってきました。
何かモヤモヤしているのですが、
このモヤモヤを分かっていただけるでしょうか。
日本語は、英語と違って自動詞も受身になります。
そして、自動詞受身は、必ず『迷惑の受身』になります。
おっしゃっているのは、
他動詞が受身になった場合でも『迷惑感』があるのでは?ということでしょうか。
私は古文が苦手で、高校時代にさっぱり分からなかったそのままになっていますが、
『日本語の受身』は、明治以降怒涛のように押し寄せた『英語』によって、
かなり変わってしまったのではないかと思います。
私も『他動詞受身』に『迷惑感』はあるという気がします。(全部ではありません。)

例えば、「課長(上司)に呼ばれている。」という場合、
行かなければならない義務が発生していて、
何か不都合をやってしまったのかとか、一抹の不安があったりします。
ところで、「息子(小学生)に呼ばれている。」という言い方をするでしょうか。
「息子が呼んでいる。」と言うんじゃないでしょうか。
息子が呼んでいる場合と、課長が呼んでいる場合とでは、
義務感(迷惑感/不安感)が微妙に違っていて、
受身を使うか使わないかの差になっているという気がしています。

もちろん、全ての他動詞受身が迷惑だというわけではありません。
「先生に褒められました。」と言う場合、決して迷惑ではありません。

ご質問の最初の文、『変な質問だと思われそうですが』の『思われそう』も
迷惑感と言うより『不安感』がちょっぴり入っているように思えます。

やはり『受身文』に漂う微かな迷惑感/不安感に敏感でありたいと思っています。

荒井邦彦
日 本
115
中国人から「眠れる森の美女」について質問を受けました。
この「眠れる」は「可能動詞(眠ることができる)」でしょうか。
私の日本人的な感覚では、
この内容は「眠っている」という状況(進行形?)だと思いますが、
どうも動詞活用がおかしいような感じがしております。

この「眠れる」の用法は誤りでしょうか。
「自発」なら、古文では「眠らる」、現代文では「眠られる」だと思います
(自然と眠ってしまう)。
あるいは「尊敬」でしょうか。
「先生が書かれる」の「〜れる」と同じでしょうか・・・
以前、とても気に入ったテレビドラマで『眠れる森』というのがありました。
そのとき「あれっ!」と思って確認しました。
『眠れる』は、可能動詞でもないし、間違いでもないし、『尊敬』でもありません。
『眠れる』の『る』は、完了の助動詞『り』の連体形で、
テイル、テアルの意味を持っています。

金アキラ
韓 国
日本語歴:10年
114
日本語の動詞には漢語動詞(例えば○○する)というものがあり ますね。
漢語動詞の自動詞は「〜される」ではなく
「〜する」 が正しいと知っていましたが、
例) 〜が普及される(×) → 〜が普及する(○)
〜が変化される(×) → 〜が変化する(○)
しかし、インターネットの新聞社サイトで検索してみた結果
「〜が普及される」という例もわずかですけどありました。
もしかして、前に助詞「に」が来て、
「〜が〜に普及される」 という受身文では使えるのですか?
どうでしょうか? ぜひ教えてください。
一般的とは言えませんが、受身文で使われることもあります。
例: カラーテレビは東京オリンピックによって普及された。  
この文は、いつだったかラジオで聞きました。
私の感覚だと「カラーテレビは東京オリンピックのときに普及した。」
のほうが、違和感がありません。
『普及する』とするべきところで、『普及される』となっているのを、
最近ちらほら見たり聞いたりします。

例: 琴欧州は二日続けて相手に変化された。
これは自動詞の受身、いわゆる迷惑の受身ですね。

おむちゃん
日 本
113
地域の国際交流協会で日本語ボランティアをしています。

生徒からの質問で、答えられなかったのでお伺いします。
質問の内容は「教える」と「教わる」はどう違うか?でした。

「教える」は自分が知っていることを相手に知らせたり、教育すること。
「教わる」は自分が相手から教えてもらうこと。
と答えましたが、
次の質問でこのように変化する他の言葉はありますか?と聞かれ
思い浮かびませんでした。
文法上どんな変化で同じように変化する言葉は他にありますか?
教えてください。似たような言葉で、
伝える⇒伝わる、押さえる⇒押さわる、携える⇒携わる、
もありますが何か少し違うような感じがします。
『押さわる』は、私は使わない言葉です。
教える 他動詞 教わる 他動詞
伝える
携える

他動詞
他動詞
伝わる
携わる

自動詞
自動詞
『わる』がつく自動詞は、他にもいくつか思いつきますが、
他動詞は、少し考えただけでは今のところ出てきません。

この件で文法上の規則云々というは、特にないように思います。
覚えるしかないと私は学習者さんに話しています。

山 中
日 本
112
「怒れる(おこれる)」という言い方は、
意味の上から考えると「自発」のような気がします。
しかし、学生時代に習った自発の中には、
「怒れる」はなかったように記憶しています。

この怒れるという言い方は、そのそもどういうものなんでしょうか。
『怒れる』は、やはり可能形でしょう。
でも、私もよく「怒れちゃう。」と言うことがあるのですが、
考えてみたら、「怒ることができる。」というニュアンスで
使っているのではありません。
やはり意味としては、『自然とそうなる』ということで、
少々おかしくはありますが、形は可能形で、意味は自発ということのように思います。

横 畑
日 本
111
「亥年が明けた。」は何か変だと思います。
今年の有名人の年始文に、ありました。
普通、「夜が明けた」「年季が明けた」「梅雨が明けた」等と言います。
これらは「---が」の状況の始点(終点)に立って説明をしていますが、
この有名人はは、 始まったばかりの亥年を「明けた」と言っています。
前三例にならえば、「戌年が明けた」でなければなりません。
また、「明けましておめでとう----」の用法とも違うように思います。
また、「明けた」には、「始まった」の意味もあるのでしょうか。
『明けた』には、『始まった』という意味がある場合があります。
この『明ける』という動詞は、 『夜』と『朝』の場合、『新年』と『旧年』の場合のみ、
両方主語にとることができます。
夜が明けた←→朝が明けた
戌年が明けた←→亥年が明けた
上記、どちらを使ってもOKです。
『朝が明けた』には、私もやや違和感がありますが、
ようやく朝が明けた。
などは、使うように思います。

『年季が明けた』『梅雨が明けた』の場合は、 『終わる』という意味だけしかありません。



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