『正しい日本語』についてこう考える!(2)

(20) 「正しい日本語とは?」ですが、
私としては「本来の日本らしい言葉が正しい日本語」 だと思います。
では「本来の日本らしさ」とは・・・やはり「美しい」ということではないでしょうか。
敬語はもちろん、自然や心の中を表現する様々な日本の言葉は
本当に美しいと思います。
逆に言うと「美しさを無くした言葉」は正しい日本語ではないと思います。


(19) 正しくない、安直な日本語が確かに多いと思いますが、英語の先生が
「英語は論理的だが、日本語は理屈が乱暴で困る」と偉そうにおっしゃるのが、
もうイヤで耐えられません。

なるべく厳密に表現しますと、
「勉強した外国語ではなく、母国語を安直に書いたりしゃべったりすると、
どの言語でもひどいことになる」のだと思います。
英語も、ネーティブさんが安直にしゃべるものは、もうひどいものです。

そういうことも知らないで、
完成した書いた英語と安直なしゃべり日本語を比較しているのでは話にならないです。
最高級の英語だけを講釈している商売ではいけないと思いますが。


(18) 最初から話が逸れますが、先日空いた電車の中で学生と話したのですが。
障子・手拭い・茶箪笥・襖(唐紙)その他多々。
高校生でしたが、殆ど知らなかったのには唖然として・・・
包丁を知らない人が一人居ました。
説明すると、あぁナイフですか、には恐れ入りました。
今の時代では、仕方がないかと諦めて、世間話をしましたが・・・疲れました。
昔から言う、言葉の糊(助詞)を上手く使えと言うまえに、
言葉を全く知らないと言っても過言では無いかと・・・学校や塾では何を?

ご存じの方も居られましょうが昔、言葉遊びをしました。

古(いにしえ)の昔の武士の侍が山の中の山中で馬から落ちて落馬して
女の夫人に笑われて赤い顔して赤面し家へ帰って帰宅して
仏の前の仏前で短い刀の短刀で腹かき切って切腹し・・・

説明しませんが、今の人はどの様に見るでしょうか。
言葉を識るのには、此の様な事が大切なのを忘れたのでしょうか。

「私見」
ら抜き等、文法を壊してはいけません。
言葉を覚える時に言葉を捨ててはいけません。
本来の文字の意味を捨ててはいけません。
言葉を識った上で其れをし、実験して下さい。
学者も審議会も毅然とした態度が欲しいものです。
現在の辞書は旧に比して少し考えさせられます。

「樹」の字は4〜50年ほど前の字源には正しく面白く載っています。


(17) 理解できない言葉を使うときは、
其のニュアンスで使うのではなく辞書を引きたいものです。
文字(言葉)を安易に使えば誤解をまねく事になりかねません。
皆様にはもう少し名言集などを読んで、綺麗な正しい言葉を覚えて欲しいものです。


(16)  これが私が考える「正しい日本語」です。

 近頃テレビ番組などで「最近の若者の日本語力低下」といった問題が多いようです
けれどもそれらは、みな文法や語法といった伝達の手段のみに限られているように感
じます。事実の伝え方のみではなくてどう言えばよく聞こえそしてどう書けば美しい
かということがどうなっているかが心配です。
もちろん言語ですので事実を正しく伝えることができないようでは困りますが事実を
伝えるだけでなくその気持ちをも伝えることができなければならないと思います。
 したがって、日本語を学習する際は文法や言葉づかいだけではなくて古文や書道も
表現技法として体系化しそれも同時に教えたほうが良いと思います。一見古文や書道
は実用的側面は全く無いように感じますがそれも教え方しだいでもっと実用的なもの
になると思います。


(15) 大学時代は地方の大学で、
仲良し連中の中で方言&若者語のミックスの言葉でよく話していた。
卒業後上京して、やはり通じなかったり、
アクセントが変だよと笑われたりすることがあった。
最近、表現の自由だとか、若者言葉は日本語の進化だとか、
唱える声をよく耳にする。
一方、十代後半、二十代になっても、
きちんとした言葉を話せない、就職などで困る方も多々いる。

現れて広がって、また消えていく若者言葉は決して正しい日本語と思えない。
二十代後半三十代前半が集まる職場で、
「今日体調が悪いので、お休みください。」と電話で休暇を取る人もいれば、
取引先に「FAXが届いておりますか?」と電話する上司も、
どれも職場で通じたが、お休みください→休みさせてください、
届いておりますか→届いていますか と話しても当然な年頃なのに・・・。
職場が変わった後でも、若者の口から
文法上、習慣上に間違ったと思われる日本語が飛び散っている。
日本人はもはや日本語を使えなくなるのでは。
近年基礎教育の甘さ、社会的に教育放任の現状は心痛むほどである。
規則に従った国語(日本語)教育はやはり必要で、大人として若者を
教育する社会責任を再認識することが大切になってくるのだろう。

だから、正しい日本語とはどういうものだろうかと聞かれると、
正しい日本語は生活の中から生まれ、長い年月を経て、
広く使われて、社会で定着した言葉であって、
言語教育や研究機関にその規則が認められ、
その使い方を代々へ伝わっていく言葉だと思う。


(14) 言語学的に正しい日本語はないと思いますが、
社会心理学的に「正しい」と思う かどうかは存在すると思いますので、
その時その場、いわゆるTPOにそれぞれ 「正しさ」があり、
相手、聴衆、コミュニティーに合わせて、
「正しい(相手が 嫌だと思わない)」
あるいは「正しいと思われている」言葉遣いをするのが、
「正しい」言語行動だと思います。

枕草子の苦言でもそうですが、わたしも40代になって、
とうとう若者言葉につい て行けなくなって来つつあります!
でも、「ら抜き」などの文法変形、省略、外来語の流入は、
特に最近の傾向とは 思いません。


(13) 正しい日本語とは、
数十年以上継続的に使われていて
かつ、原則としてその用法から抽象される法則に矛盾がなく適合している。
(「食べれる」は法則に矛盾する。)
もしくは、その用法から抽象される法則には矛盾が生ずるが、
言語に理解の深い人たちの圧倒的多数から
長年(数十年以上)の間
正しい用法であるとの確信を持って支持 されている言葉。
(「食べれる」は圧倒的多数からの正しい用法であるとの確信を持って
支持されているとはいえない。)
または、数十年以上継続的に使われている用法から抽象される
法則に沿った用法に則った(新しい事象や概念に対する)新しい言葉。
といったものだと思います。

上書の内容については次のような考え、気持ちがこもっています。
法則に従うことが必要
言葉は法則がなければ伝わらない。
厳密に言えば法則がなくても、
その言葉自体の意味を関係者が了解していれば通 じるが、
それでは、発展性や応用可能性がなく、言語とは言えない。
したがって、法則に反する言葉(文法に反する言葉)する言葉は正しくない。
文法よりは言葉が先
しかし、文法というものは現に存在する言葉から抽出される法則であり、
現に存在 する言葉が先にあるので、
それが正しいものとの確信を持って皆に使われていれば、
その正しさを否定することはできない。
その場合に文法に違反する言葉であるから誤 りというのであれば、
それは文法の方が現実の言葉を説明できない誤りを持つものと言うほかない。
言葉が変化していくとき、どう扱うか。
法則の中での変化でなければ理解できない、あるいは理解しにくい、
あるいは違和感があって使いにくい。

同じ言葉で年齢を超え、時代を超え、学習時期を超えて意思疎通が行えることが
言語の機能として相当に求められるのは自明と思われるので、
変化に対してはあまり寛容であってはならない。

したがって、言葉の変化は当初は文法違反となる。
例えば食べれるというべきか食べられるというべきか、
どちらかに決まっていなければ書くにも聞くにも不都合であり、
どちらかにきまった法則が存在しているなら
それにしたがわなければならないのが原則である。

しかし、何らかの理由で変化が望まれることがある。

例えばら抜き言葉は、「可能」を示すことが非常に明確で、
自発、受け身、尊敬と区別しやすい特徴を持つ。音節も短くなり早く話しやすい。
「られる」をつけるべきことは単に決まりとしてそうなっているというだけではなくて、
必然性があって「られる」である(という説明を読んだことがあるが
今その意 味を直ちに正確に思い出せない)という面は多分ある。
しかし、以上のようなメリッ トから使用が拡大しているものと思われる。

「られる」に必然性があるとしても上記のメリットを重んじて、
法則としても不都合は少ないと皆がそう確信するに至って、
長年皆がそのように使えば、やがて誤解のおそれもなくなり、
新たな正しい文法として認めて何ら問題がなくなる。
そういった ときには言葉に変化が生じてかつては誤用だったものが
新しい正しい用法になるので あると考えられる。
簡単なまとめ
大多数に通じている状態で、法則内部に大きな矛盾もなく、
長期間許容されて使わ れてきたら
それは正しいといって良いのではないかと思います。

ただ、「大多数」だけだと少々不安があって、
「言語に理解の深い人たち」という 留保を付けてしまいました。
また、法則内部に矛盾があっても、その方が使いやすくて定着してしまえば
やはり 文法を修正して言葉の方を正しいといわざるを得ませんね、多分。

それから、内容的に誤りがあるのに皆が正しいと思って使い続けているときに、
そ れは何十年経とうが誤りだ、ということが必要な場合もあるのかもしれません。
その辺は難しいです。

例えば 「海嘯」は「津波」の意味を持つとされていますが、
本来海の潮が満潮になるときに、
川を潮が上がっていくときのなみのことを指すはずなので、
意味の区別困難な事態を招くおそれがあったりすれば
やはり誤り扱いしてはどうかと思ったりもします。

それから、間違っているものは間違っているとしないといけないものも
もちろんあるでしょう。
例えば、「中島」さんの読みが「なかしま」であるのに、
「なかじま」 とみんなが読んで何十年経っても本人が「なかしまです」といえば
正しいのは「なかしま」ですね。当たり前ですが。


(12) 大学で国語学を専攻していて、形容詞の語史を卒論のテーマにしました。
久しく国語学とは無縁の生活をしていましたが、 先日、樹さんのHPをみつけて
「正しい日本語」ってなんだろうと考えたのですが、
みんなが真似する日本語ではないかと思いました。

知識があいまいで申し訳ないのですが、
昔は有名な歌人や作品の言葉遣いが模範となっていて、
歌や文章を作る人はその言葉遣いを真似て創作をしていたんですよね。
自分の仕事の場面で考えても
(私は通販会社で電話のオペレータなどをしているので すが)
分かりやすくていい印象の言い回しが耳にはいれば、
次からは同じ場面ではその言葉 を使うようにします。

逆に尊敬語や謙譲語でいうと間違ってない言い方でも
「私正しい言葉遣いしてるのよ。文句ある!?」って感じの印象を
受ける言い方はしないようにします。
「ら抜き言葉」や「させていただきます」にしても、
人が言っているのを聞くとおか しいと思っていても
いざその状況になると自分も言ってしまいます。
理由はなにせよ、みんなが真似して言ってしまう言葉が
コミュニケーションの中で理にかなっている言葉なのではないかと思います。

私も学生の時は
「正しい日本語=今時の言葉でない日本語」などと漠然と思っていま した。
でも大学で国語学を勉強して、
そんなことを言ってたら古代中国語が正しい日本語になってしまうと思いました。
結局、樹さんがいつもHPにかいてらっしゃるように、
「多くの人と共通理解が得られること」「多くの人に不愉快な感情を与えないこと」 だと
私も思いますが、自分なりの言葉で表現してみました。


(11) 正しいの判断が難しいところですが、
@ 書き言葉としては 現時点で大多数のひとが正しいと思う表現が
正しいといえる日本語なのでは ないでしょうか?
大多数というのは75%以上というところで しょうか?
ご存知の通り 言葉は変化してゆきます。
今 変な または 乱れた 日本語とい われていても、
10年、20年後に 大多数が 正しいと言えば それは 正しい日本語 となります。
(例  ら 抜き言葉などがそうなると思います)
A 話し言葉は、発音という問題がついてまわるので、
同じ土俵の上で議論ができる共通語・標準語だけに限定しないと、
議論にならないとおもいます。
これも 大多数のひとが これが正しいというものが
正しい日本語だろうとおもいます。


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